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コソボ共和国(コソボきょうわこく、アルバニア語:)は、1991年にコソボのアルバニア人を代表する並行議会によって独立が宣言された国際的に承認されていない分離主義国家である。最盛期には、セルビア人が牛耳るコソボ・メトヒヤ自治州に対抗して、並行する独自の政治機構の組織を試みた。 コソボ共和国は2000年に公式に解体され、その諸機構は国際連合コソボ暫定行政ミッション(UNMIK)が設置するコソボ共同暫定行政機構(Joint Interim Administrative Structure)へと引き継がれた。コソボ共和国の存続期間中、その独立を承認した国はごく少数であった。 == 歴史 == === 独立宣言 === 1974年に、ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の枠内で、セルビア社会主義共和国からの高度な自治を認めたコソボ社会主義自治州が設置された。この自治は1989年の憲法改正によって大幅に縮小され、コソボのアルバニア人らによる大規模な抗議行動が起こった。多数の抗議参加者がユーゴスラビアの当局に逮捕された。これをうけて1990年2月に非常事態宣言が発布され、5月には州政府は機能を停止された。 この政治危機に対して、アルバニア人が大多数を握っていたコソボの州議会は、コソボは自治州からユーゴスラビア連邦の構成共和国に格上げされるべきとする提案を行った。これに対してセルビア政府はコソボの州議会を解散させ、コソボの行政機構を直接支配するようになった。 議会のアルバニア人議員は秘密裏にカチャニク(Kaçaniku / Kačanik)にてコソボ州議会を解散し、ユーゴスラビアの構成共和国としての「コソボ共和国」の樹立を宣言した。1991年9月22日にはコソボ共和国議会は、同国を「独立した主権国家」と宣言した。この宣言は数日後に行われた非公認の住民投票によって是認された〔http://www.ciaonet.org/wps/sir01/〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「コソボ共和国 (1990年-2000年)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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